ある寒い冬の日。
見渡す限りを白く染まった山々が取り囲み、空気まで白く染まった朝。
吐く息も白くなり、体の芯まで冷えきる中。
その中を、一定の速さで歩き続ける影が三つ。
微かな足音を響かせながら歩いていた。
一人は、カーキ色のジャケットを着込んだ、水色の瞳と髪を持つスナイロユンク。
一人は、ピンク色のダッフルコートを着た、ピンク髪で紅瞳のミミマキムクネ。
一人は、黒いデュックコートを着ている、紅髪のクロメ。
三人はクロメを筆頭にして、白い世界を山の向こう側を目指すように進んでいた。
クロメがふいに足を止め、ゆっくりと辺りを見渡す。
後ろの2人も足を止め、同様に周囲を警戒する。
ところが、辺りに変わった様子は微塵たりともない。
不思議に感じたのか、スナイロユンクが声をかける。
「隊長?」
隊長と呼ばれたクロメは振り向くことはなく、無言のまま立ち尽くしていた。
「何してるッスか、隊長は。」
スナイロユンクは思わず、傍のミミマキムクネに尋ねる。
ミミマキムクネはそれを軽くあしらうと、鬱陶しそうに答えた。
「周囲の警戒よ。何をそんな当たり前のことを…」
「いや、こんな何にもないところで?しかもこんな雪原のど真ん中で…それこそ敵に見つかるッス。」
「じゃあ、隊長に進言してはいかが?」
ミミマキムクネの言葉に少しムッとしながらも、スナイロユンクは再びクロメに声をかけた。
「進みましょう、隊長。この場所じゃ見つかるッス。」
足を止めるのは得策ではないのは確かだ。
だが、クロメは足を止めたまま動かない。
その不審な様子に首を傾げる部下を余所に、クロメはこの山々に思いを馳せていた。

*

丁度その頃。
山々に囲まれた小さな白い村に、ある集団が続々と入村していた。
屋根にも道にも小屋にも雪が被るこの村は、一年中寒い場所。
それ故か、子供たちは北風が吹こうがかけっこ遊びをしている。
一方大人たちは、家々から出てきてはこそこそと会話を繰り返している。
それもそのはず。
入村してきた集団は、その村に似つかわしくない程重々しい空気を漂わせていたのだ。
軍服に煌めく数々の勲章。
肩から下げられた銃剣に、目深に被った軍帽。
目線は鋭く、言葉数は少ない。
彼らは、元、軍人。
元、第一部隊の者たち。
今では反逆者となり果てていた。
その中の一人…紺色のコートを着たムシチョウがふと顔を上げた。
まるで、取り囲む山々の向こうに想いを重ねる者がいるかのように。
「―…そろそろか。」
ムシチョウは静かに呟き、深い灰色の目を細めた。
「隊長。」
そう呼ばれたムシチョウは、横にいるユキムグリに目を向けた。
副隊長であろうユキムグリは地図から顔を上げ、ずれた眼鏡を上に押し上げた。
その白く長い髪が揺れ、周囲の者が二人に注目する。
「嗚呼、奴らはそろそろ来る。」
ムシチョウは握りしめていた紙をユキムグリに渡した。
「報告書だ。」
「…近いですね。」
「近い。しかし、三人だ。」
「隊長、彼らは侮れませんよ。なにせ、第四部隊ですから。」
「特殊部隊だからな。分かっている。」
ムシチョウは、特殊部隊、という言葉に過去を思い出した。
何もかも正義だった、過去。
それと相反する現状。
黒く塗り潰されいく心で見かけた、真っ白な雪。
その白さが心の穢れを浄化し、一つの道を照らし出した。
その道に従って手に入れた正義と、犠牲にした絆。
走馬灯のような思い出の中の、小さなクロメ。
あのクロメは今や…。
ムシチョウがまだ、紺色のコートなど着ていない時。
警察団が正義の道を貫き、白く輝いていた時代。
小さな小さなクロメは入団を果たした。
そのクロメの上司となった自分。
他の連中がいかに軽蔑しようと、ムシチョウだけは純粋に心配していたあの頃。
構えが遅く、銃の扱いも上手でなかったクロメを何度叱ったことだろうか。
正義感に溢れ、輝く目を持っていたクロメを、幾度庇っただろうか。
「世話になった。」
クロメが突如として第四部隊に異動し、照れ隠しをしながら別れを告げられた朝。
あの朝の目深く被ったコート姿を、未だに覚えている。
あのクロメは今や…脅威となった。

*

そのクロメは今、同じ思い出を胸に、歩みを進めたところだった。
不思議そうにしていたスナイロユンクもミミマキムクネも、クロメに倣い雪原を進む。
陽がぼやけて朝か昼かも分からない中、ひたすら歩き続ける。
しばらく経った時だろうか、雪がちらつき始めた。
その雪は次第に勢いを増し、吹雪となった。
スナイロユンクがコートの前を握りしめながら、叫ぶ。
「隊長!これじゃあ進軍は無理ッス!どこかで吹雪が止むのを待ちましょう!」
そう言うと、スナイロユンクはクロメとミミマキムクネの傍を少し離れ、周囲を詮索する。
そして、手を振りながら声を張り上げる。
「あそこ!洞窟ッス!あそこで待ちましょう!」
残り二人は黙ってその洞窟を目指し、クロメを筆頭に洞窟の中に入っていった。
洞窟の中でスナイロユンクはすぐさま火を熾し、雪を少し集めて湯を沸かしていた。
「やっぱ火ぃつけられる物持ってきてよかった!」
スナイロユンクは帽子を脱ぎ、雪を払いながら言った。
「当たり前です、そんなのは。」
ミミマキムクネはコートの雪を払いながら、呆れ顔で言った。
「いやだってねぇ、今日中には着くかと…」
「想定外のことも予想内です。」
「ああそう。」
可愛らしい高い声とは裏腹に、事務的に答えるミミマキムクネ。
もういいッス、とスナイロユンクは背負っていたリュックを漁る。
クロメは火の傍でしばらく手を温めていた。
その背後の岩盤に、隊長の影は映らない。
その様子を横目に見ながら、スナイロユンクは携帯食を頬張る。
そして、ミミマキムクネにそっと耳打ちをした。
「隊長って影ないんッスね。」
「お前…、」
何を今更と言わんばかりの呆れ顔に、スナイロユンクは拗ねたように呟く。
「何でかなってのは、分かんねぇじゃねぇッスか。」
別に分からなくてもいいじゃない、とミミマキムクネはそっぽを向いた。
当人の前で言うことでもない、と言わんばかりに。
「確かにそうだけど…」
「呪いの所為だ。」
クロメが静かに呟いた。
2人は少しびくっと顔を震わせ、取り繕うような表情を見せた。
「え、ええっと、そ、そうですね。」
「の、呪いなら仕方ないッスね!」
クロメはちらりと二人を見て、すぐに自分の足元を見た。
「何にも残らない。」
その言葉に、ミミマキムクネは痛ましい、と感じずにはいられなかった。
頭に残る、真っ白な雪景色の中に佇む、黒服のクロメ。
クロメの歩いた後には確かに足跡がある。
足跡には影がある。
しかし、クロメ自身に影は無い。
本来クロメの影がある場所には血が凍っていて、鮮やかな赤を残していた。
空も、世界も、白く。
鮮やかなのは、クロメ自身と、血痕。
きっと、消えてしまいたいと思うのではないだろうか、とミミマキムクネは思った。
いずれ消えゆく足跡と血痕。
いっそ自分も消えたらという願いと、消えてしまうという恐怖との葛藤。
その葛藤を感じ取るかのように、スナイロユンクは目を伏せた。
しかし、突然ばっと顔を上げ、立ち上がった。
「じゃあ、じゃあ!」
「何、五月蠅いわよ。」
スナイロユンクは洞窟の外を指さして、微笑んだ。
「これで足跡残るッスね!」
自分の頭を覗かれたような感覚に、ミミマキムクネは頭を叩かれた気分に陥った。
クロメは洞窟の外を見て、目を見開いた。
何時の間にか外は晴れ、青空が広がっていた。
足元は依然として白いものの、風のない世界が広がっていた。
クロメ自身がいたという確かな記録…足跡というちっぽけな軌跡。
それが残ることに喜ぶスナイロユンクと、気まずそうなミミマキムクネ。
二人をみたクロメは、立ち上がり、告げる。
「行くぞ。」
戦闘を歩いていったクロメを、スナイロユンクとミミマキムクネが追う。
陽の光が射し、スナイロユンクとミミマキムクネの影ができあがる。
スナイロユンクは後ろを振り返り、満足そうに微笑んだ。
「うん。」
そこには確かに、多量の足跡が残っていた。

*

一報を受けたのは、数日前のことだった。
「第一部隊が、か。」
「はい、そうっス。」
「愚かな、私達が追うことぐらい知ってるでしょう。」
クロメ、スナイロユンク、ミミマキムクネは薄暗い部屋にいた。
コンピューター機器が並び、埃っぽく、事務的な部屋。
光はブラインド越しに入る太陽の光か、天井や机の冷たいライトのみ。
「組織に対しての謀反…確実に第一級となる犯罪内容だ。」
「…まさか幹部を殺されるとは、上も思ってもなかったでしょう。」
「仕事、そんなに辛かったッスかねぇ。」
「私達の仕事の方が辛い…辛いが、それは上司を殺す理由になり得ないのでは?」
「確かに。」
クロメは、第一部隊が何故反旗を翻すのかを考えた。
第一部隊と言えば、先陣きって敵陣に飛び込み、敵の戦力を削ぎ、捕縛する。
その、優秀な部隊が、何故。
「雪に惑わされたか−…。」
クロメは聞こえない声で呟いた。
「へっ?」
「なんでもない。」
「そういえば、」
スナイロユンクは薄暗い部屋を見回し、あることに気付いた。
「この部屋ストーブもないし、寒いッスねぇ。」
「外は雪だ。」
「マジッスか。どうりで…。」
スナイロユンクとミミマキムクネは窓へ駆け寄った。
そして、真っ白な世界を見たのだ。
クロメは、じっと、唯、自分と同じ名前の世界を見ていた。
この雪に、何が惑わされたのだろうか。

*

今、この場所…雪の場所で。
数日前の出来事を思い起こしながら、山を越えた。
下山し、次の山に向かうまでの途中。
その途中に、目的地はあった。
「あっ、村ッスよ!目的地ッスね。」
スナイロユンクが自慢の目を使い、小さな白い村を発見した。
まばらに生えた黒い太い木々の向こうに小さな家々と立ち上る細い煙が見えた。
「…慎重に行くぞ。」
クロメは相貌を細めた。
今から思い出の人を殺しに行く。
感傷に浸ることは、今後一切ない。
今一度、と深呼吸をし、クロメたちは雪山をゆっくり下りていった。
木々に隠れ、静かに動く様が隙をなくす。
第一部隊は村の裏側…奥の山々が見える場所に集っている。
故に、村の表側より侵入し、背後より敵を絶つ算段である。
身を隠せるような倉庫等の障害物が多いのが、クロメたちの戦況を有利にしていた。
何より、第一部隊と同じ服を着たクロメたちを変に訝しむ者はいなかった。
スナイロユンクとミミマキムクネは気配を消し、足早に入村した。
そして、あっという間に一番表側にいた奴らの目を掻い潜り、第一部隊へ紛れ込んだ。
クロメはゆっくりと入村した。
その目に映る空は曇り始め、吹雪の訪れを予感させた。

「まだか。」
ムシチョウが呟いた。
クロメたちよりだいぶ先、一番裏側にムシチョウは佇んでいた。
「未だ、見えないそうです。」
ユキムグリが答えた。
先刻、ムシチョウにとっては裏側、クロメたちにとっては表側の山に、クロメたちがいるという報を受けたばかりである。
そうであれば、もうそろそろ村の近く…いや、もう村にいても可笑しくはなかった。
「そうか。」
出来れば戦いたくなど無かった…ムシチョウは感傷に浸る。
昔の、部下。
何よりも心配した、部下。
あの照れた表情に幼さが残る、部下。
出来れば…しかし、そんな甘い考えはすぐに打ち切られた。
異変に気づいたのだ。
「人数が減ってるぞ!」
見張りがすぐさま辺りを見回す。
確かに、人数が少し減っている。
確認する間にも、減っているように見えた。
ムシチョウとユキムグリが銃剣を構え、周囲の部下もそれに倣った。
緊張に包まれた雰囲気の中、武器が構えられ、陣形が迅速に整えられる。
しかし、妙な点があった。
血痕が残っていないのだ。
「…よもや、連れ去ったか?」
「女三人にですか。」
「訂正しろ、女二人、男一人。」
「しかし、子供では。」
「だからといって、男は男だ。」
ムシチョウの部下たちが、辺りを吟味するように見回すが、妙な人影も、物も、何も見えない。
その時、また、数人消えた。
「ちっ、特殊技か?」
「見えた…!」
「待て!」
ユキムグリが駆け出し、ムシチョウが後を追った。
それに続いて、前方の部隊が移動する。
ユキムグリが駆け出した先、村のやや外側のまばらに生えた木々の間に、それはあった。
「成程。」
「やはり、連れ去りでしたね。」
叫び声も、涙も流れないうちに始末された同胞の体。
雪は温かな赤に溶け出し、周囲を生暖かい空気に変えていた。
それとは裏腹に、ムシチョウたちの心は一層冷たくなっていった。
白い雪に映える、赤。
それを見たムシチョウが名を呟く。
「クリムゾン・スノウ。」
「なんです?」
「特殊部隊の隊長の名前だ。冥土の土産にでも覚えてやれ。」
「それは、向こうの、ですよね。」
「嗚呼、我等は死ぬつもりはない。」
昔の部下を出来れば殺したくは無かったが。
その言葉を呑み込んで、ムシチョウは辺りを見回す。
これが罠なら、何時クロメの部下が飛び出してきても可笑しくない状況だ。
しかし、敵の姿は見当たらない。
静かな冷たい風の音、それに擦れる木々の葉の音がするのみである。
周囲は寒いが、口の中が乾き、汗が噴き出す。
その時、視界に黒い何かが映った。
「やはり罠か!」
ムシチョウは叫んだ。
ユキムグリは罠という言葉に反応し、とっさにその黒い何かを切り裂いた。
しかしそれこそ罠であった。
その黒い何かは、黒い丸太であった。
黒い丸太に繋がっていた糸の先には、繋がれた丸太の重さで丁度ギリギリに保たれたボーガンに固定されていた。
それが今、重さを失い、糸が緩み、矢が発射されていた。
太い矢はユキムグリの心臓を貫いていた。
ユキムグリはムシチョウが駆けつける前に地面に倒れこみ、赤い泡を吹きながら静かに絶命した。
「くそっ!」
「ふ、副隊長が…!」
「慌てるな!」
彼は、殉死だ。
そう静かに告げて、周囲に動く気配を読んだ。
しかし、やはり、風の動きしかわからない。
不気味な白い世界が、ムシチョウの部隊に恐怖を呼ぶ。

「やっりぃ!」
「お黙り。まだ、次。」
「はーいはいっと。」
スナイロユンクは黒い丸太を持っていた。
周囲にいくつも用意されたそれを持ち、よっという掛け声とともに敵の眼前へ揺らす。
スナイロユンクは腕まくりをしていた。
その腕は、軍服の上からでは想像出来ないほど鍛えられていた。
この腕をもって、敵を攫ったり丸太を担ぎ上げたりしていたのだ。
ミミマキムクネは、煙がなるべく上がらないよう、雪の下に湿りにくい特殊な導線を配線し、火を点けた。
導線の先は、仲間の死体の真下へ。
「死者を愚弄するのは好まないが、仕事だ。」
事務的に答えたミミマキムクネは、静かに、成果を待った。
やがて、爆発音が聞こえ、叫び声がした。
村の人間が来ない為の、配慮も成果を挙げた。
「たーまやー!」
「五月蝿い。」
ミミマキムクネの肘鉄がスナイロユンクに当たった。
いてっという声をあげたが、スナイロユンクもミミマキムクネも決して油断しているわけではなかった。
二人の目線の先には、花火。
叫び声も、怒声も、この花火に掻き消された。
スナイロユンクとミミマキムクネが敵に紛れ込む前、二人は走りながらビラをばら撒いていた。
今頃村人たちには、クロメたちにとっては表側の山で行われる花火大会、とでも間違われているだろう。
花火の点火地点に滅多に人は来ない上に、ビラには予め点火地点には来ないよう注意書きを施しておいた。
ビラの注意書きと村人たちの火薬の危険度の認知度の高さ、それに警察組織主催の盛大な花火大会と吹聴したことの相乗効果により、クロメたちにとって何もかも上手く進んだ。
敵を攫った後に殺す一方、周囲に転がる丸太を使ったボーガン攻撃やライフルからの攻撃、そして、爆弾を使用した攻撃…これらによりムシチョウを含む前方部隊は危機的状態に陥っていた。
遠くからもライフルの音がする。
ムシチョウたちからは表側の山付近…ムシチョウの後方部隊がいる場所近くから死に損ねた者を殺すのは、クロメである。
スナイロユンクとミミマキムクネのコンビネーション、そしてクロメの圧倒的な殺戮技術により、敵は徐々に減っていった。
後方部隊も投入され、ムシチョウを守るかのように銃撃戦が行われたものの、罠を仕掛けてなかったムシチョウの部隊は、敵であるクロメの罠にかかって減りゆくばかりである。
クロメのライフルの音が徐々に近くなるのを感じながら、ムシチョウの部下たちは恐怖を強めていった。
それを笑いながら見ていたスナイロユンクだが、ミミマキムクネに小突かれて銃器の矛先を、先ほど向けていた獲物から別の獲物へ変更する。
クロメたちには、今は、当ててはならない的があった。
それは、敵の隊長…ムシチョウである。
「くそ…!何処だ!何処にいる!!!」
ムシチョウは混乱しつつあった。
何処にあるか分からない爆弾、何処から来るか分からない銃弾。
残る部下は数名程度しか残らず、それも爆弾や銃弾の犠牲になりゆく。
周囲は真っ赤に染まり、白の世界は山にのみとなるかのよう。
「クリムゾン!」
紅、という現状を表すかのような名前を呼んだ。
ざくり、と音がし、木々から黒い影が見えた。
嗚呼、あのデュックコート。彼だ。
「始末にしに来たのか。」
「分かってるなら話は早い。」
「しかし、死ぬつもりは無いのだよ。」
「そう、ですか。」
そう言い、クロメはライフルを捨て、短銃を構えた。
クロメはたった一人で姿を見せていた。
しかし、ムシチョウも、数十人はいた部下たちはすっかり死に絶えてしまい、今ではすっかり一人になってしまった。
「なぁ。」
黒い木々の中でスナイロユンクがミミマキムクネに言う。
「何。」
「アレも俺らがやっちゃえば早ぇのに。」
「五月蝿い。隊長のご意思だ。」
「へぇ…昔の?」
「昔の。」
姿を現さない二人をようやく感じ取ったムシチョウが二人のいる方向をちらりと横目で見るのと同時に、ミミマキムクネが小さな声を上げた。
「あっ。」
ミミマキムクネがバツの悪そうに空を見上げる。
「これだから山は…。」
「どうした?」
「吹雪が来る。」
「げっ。」
早く終わらしてくださいよー、と空気を無視した叶わぬ願いを、スナイロユンクは呟いた。

「こうして話すのは何年ぶりか。」
ムシチョウが力なさげに微笑んだ。
「さあ。」
対するクロメは表情一つ変えない。
「しかしお前は変わらないな。」
「変われない。」
「そうだったな。」
寒い空気が抜け、白い雪が降り始めた。
雪が肩に積もり、溶けていく。
白い息を幾度か繰り返し、ムシチョウは意を決したように声を上げた。
「さあ、けりをつけよう!私は生きたい。」
ムシチョウはマシンガンを出した。
「『氷流星』」
唱えた呪文の後に発射する。
それは、流星の如くきらきら輝いて、クロメに降りかかった。
氷の、弾丸。
「『氷弾』」
クロメは小声で唱え、撃った。
小さな氷の弾丸が、ムシチョウを襲う。
「技を改造したのか!」
「ええ…僕にとっては小さい方がいいから。」
二人とも酷似した技を使用していた。
それもその筈。クロメの技は、ムシチョウに教わった技を自分向けに改良したものだった。
流星と、小さな弾と。
数は流星が勝っていたが、速さは小さな弾が勝っていた。
クロメは腕や肩、足に被弾しても気に留めることなく撃った。
足元に赤く血が残り、凍る。
それはまるでそこに自分がいた証しであるかのようであり、クロメは、そのまま放っておく。
ムシチョウはそれに驚いたのか、思わず声をかける。
「らしくないな!跡は消すものだ!」
苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべて、ムシチョウはクロメの赤を雪の白で覆う。
クロメのいた場所には、ムシチョウがいて、ムシチョウがいた場所にはクロメがいる。
お互い場所を交互交互に移動するかのように動きながら技の応戦を繰り返した。
足を無駄に使う余裕のあるムシチョウに、クロメは少しだけ嬉しく感じた。
その微笑みに惑わされ、ムシチョウの脳内に、クロメが異動したときの微笑みが浮かび、重なる。
その感傷が、クロメに付け入る隙を与えてしまった。
一気に炎の弾丸がムシチョウの急所に浴びせられた。
心臓や腹部に多量に浴びせられた銃弾は、ムシチョウの身体を身動きの取れないものとした。
「嗚呼、そうか。私と、同じ技があったのだったね。」
「はい。」
氷の技、炎の技…数多くの技を教え込んだのは自分なのだ。
ムシチョウは自嘲せず、唯々微笑んだ。
クロメは、元隊長、を見下ろした。
短銃を向け、その頭に向け、ゆっくり引き金を引く。
その間際、ムシチョウが小さく呟く。
「さようなら、だ。」
クロメはフードを目深に被ったまま、声色を変えなかった。
「有難う御座いました。」
唐突な言葉に、ムシチョウは驚いて、再び微笑んだ。
そして、…銃声が鳴り響いた。

*

ある寒い冬の日。
見渡す限りを白く染まった山々が取り囲み、空気まで白く染まる。
吐く息は視界に溶けて見えず、体の芯まで冷えきる中。
規則正しい足音が三つ、雪の中を進んでいた。
しかし、足取りは重く、中々前に進めない。
それはこの吹き荒れる雪のせいであった。
その白く吹き荒れた世界を、三人は抗いつつ歩く。
「くっそー、下山まであと少しでこれッスか!」
「何だ、なんと言った!?」
「聞こえねぇのかぁ!!!」
「聞こえん!」
ムクネはユンクの襟首を掴んだ。
その二人を完全無視し、クロメは歩き続けた。

ムシチョウを雪に埋めた後、クロメは静かに歩きだした。
スナイロユンクとミミマキムクネと後始末をし、痕跡を消すことに力を注いだ。
花火を使い切り、三人は村人と話をすることなくその場を去った。
雨の代わりに雪が降り、クロメの心を感傷に浸す。
よく、あることだ。
その言葉で処理できてしまう脳内と、虚ろな心。
クロメは手を握り締めて、歩き出した。

今頃、あの血痕も、あの爆発の後も、あの武器も、あの墓も、あの足跡も。
全て全て、雪の下だろう。
そう思うと、後ろを振り返らずにいられなかった。
スナイロユンクとミミマキムクネは、自分達が五月蠅いのだと勘違いして、口を閉ざして歩みを速めた。
しかし、クロメは立ち止まっていた。
「どうしたんッスか、隊長?」
その声にも応答せず、クロメは雪を見続けていた。
それを見てスナイロユンクがクロメにしっかりと、聞こえる声で尋ねる。
「大丈夫、生きてた証しは必ず残るモノッスよ。」
「何を偉そうに。」
ミミマキムクネがスナイロユンクに本日何度目かの肘鉄を入れた。
スナイロユンクは慣れたという感じで腹を擦り、クロメに向って微笑んだ。
クロメの瞳は揺らぎ、握りしめた手が少し緩む。
自分の、恩師の、過去に過ぎ去った人たちの、…自分の目の前にいたという証拠は残るのだと。
クロメは目を細め、しっかり二人に見えるように、微笑んだ。
スナイロユンクとミミマキムクネは顔を見合わせ、同様に微笑んだ。
吹雪も、白い世界も、敵さえも、怖くない。
クロメは前を見て、歩みを進めた。
目指す緑の大地は、すぐそこまで迫っていた。

*

白い世界は、全てを呑みこむ。
ならば、その白い世界に何度でも、証しをつけよう。
生きていた、証しを。





++++++++++
2007.11.19「戦場で」、2007.11.27「戦場で2」リメイク
2015.5.16



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